みどころ
みどころ
日本の近代美術の歴史において、最も独創的な絵画の道を歩んだ
画家・岸田劉生(1891–1929)の展覧会を、没後90年を迎えることを機に開催します。
日本近代美術史は、フランスの近代美術を追随したものであったと言えますが、
画家・岸田劉生はただ一人、初期から晩年に至るまで、自己の価値判断によって
自己の歩む道を選択して、自己の絵画を展開していきました。
フランス近代絵画から北方ルネサンスの古典絵画、中国の宋元院体画から
初期肉筆浮世絵へと、西洋と東洋の古典美術を自身の眼だけで発見、探究することで、
独自の絵画を創造、深化させたのです。
本展では、岸田劉生の絵画の道において、道標となる作品を選び、
基本的に制作年代順に展示することで、その変転を繰り返した人生とともに、
画家・岸田劉生の芸術を顕彰します。
ベスト・オブ・ベストの劉生展!

初期から最晩年までの名品ばかりを厳選して紹介する、まさに至上の展覧会です。劉生の作品は、画面に残されたサインや日記から、ほとんどの作品が制作年月日まで分かっています。展覧会では基本的に制作年順に展示しますので、鑑賞の皆さんは、劉生の画業の変遷を目の当たりにできます。

麗子がいっぱい!

誰もが一度は目にしたことがある《麗子像》。劉生はこの愛娘をテーマにした油彩画、水彩画、素描をたくさん描きましたが、皆さんご存知でしたしょうか。本展覧会では、かわいい麗子、デロリな麗子、さまざまな麗子像をお楽しみいただけます。

没後90年、ゆかりの地での開催!没後90年、ゆかりの地での開催!

東京で生まれ、中国・大連旅行からの帰国後逗留した山口で客死した劉生。関東大震災後、京都への転居前に、一時ではありますが名古屋に身を寄せ、同地の美術界に大きな影響を与えました。劉生の没後90年にあたり、劉生ゆかりの地を巡る大回顧展です。

1907-1913 第1章「第二の誕生」まで

独学で制作した水彩による風景画《緑》からはじまって、黒田清輝の主宰する白馬会葵橋洋画研究所で、フランス印象派に影響を受けた「外光主義」と呼ばれる画風で描いた作品《銀座数寄屋橋》までが、劉生の学習時代と位置づけられます。雑誌『白樺』で紹介された、ゴッホら後期印象派(ポスト印象派)の画家たちに衝撃を受けて、1912年に結成したヒユウザン会(フュウザン会)の展覧会などで発表した、激しいタッチと鮮烈な色彩による作品が、劉生の画家としての出発点となりました。

《銀座数寄屋橋》   1910年頃   油彩・板   郡山市立美術館蔵
《銀座数寄屋橋》 1910年頃
油彩・板 郡山市立美術館蔵
《日比谷の木立》   1912年頃   油彩・板   下関市立美術館蔵
《日比谷の木立》 1912年頃
油彩・板 下関市立美術館蔵
1913-1915 第2章「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで

1913年には、後期印象派風の表現に違和感を覚え、「近代的傾向…離れ」をすることで、独自の写実を探究し始めます。「劉生の首狩り」と称される友人たちをモデルとした人物画《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》や、自画像を連作するのがこの頃です。また、結婚や愛娘の誕生によって、主題がキリスト教的な人間像となっていき、この頃の人物画《黒き土の上に立てる女》には、ミケランジェロやデューラーといった西洋古典絵画の「クラシックの感化」が見受けられます。

《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》   1913年5月12日 油彩・麻布   東京国立近代美術館蔵
《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》 1913年5月12日
油彩・麻布 東京国立近代美術館蔵
《黒き土の上に立てる女》   1914年7月25日 油彩・麻布   似鳥美術館蔵
《黒き土の上に立てる女》 1914年7月25日 油彩・麻布 似鳥美術館蔵
1915-1918 第3章「実在の神秘」を超えて

東京・代々木に転居したこともあり、人間と自然の葛藤を問うような風景画を制作するようになります(《道路と土手と塀(切通之写生)》など)。同時に、人物画においても、人間への探究がより深くなっていきます。また、結核の診断(後に誤診と判明)を受けて、戸外での制作を禁止されたことで初めて取り組んだ静物画で、人間の存在意義を問いかける絵画《壺の上に林檎が載って在る》を制作します。この絵画による存在論とも言える作品が、愛娘を描いた《麗子肖像(麗子五歳之像)》です。

《壺の上に林檎が載って在る》   1916年11月3日 油彩・板   東京国立近代美術館蔵
《壺の上に林檎が載って在る》 1916年11月3日 油彩・板 東京国立近代美術館蔵
《麗子肖像(麗子五歳之像)》   1918年10月8日 油彩・麻布   東京国立近代美術館蔵   [東京展に出品]
《麗子肖像(麗子五歳之像)》 1918年10月8日 油彩・麻布 東京国立近代美術館蔵 [東京展に出品]
1919-1921 第4章「東洋の美」への目覚め

以降、麗子は劉生にとって最も重要な主題となります。林檎と一緒に描いた作品や、鵠沼の風景の中に麗子を描いた《麦二三寸》、そして最も有名な《麗子微笑》など、劉生は毎年、油彩で「麗子像」を制作します。同時に、水彩画や素描でも麗子像や村娘像を描きますが、細密に描きこんだ油彩画とは対照的な直截な表現から、「内なる美」と「写実の欠除」の重要な関係性を見いだすことができます。

《村娘之図》   1919年4月13日   水彩,コンテ・紙    下関市立美術館蔵
《村娘之図》 1919年4月13日 水彩,コンテ・紙 下関市立美術館蔵
《麦二三寸》   1920年3月16日   油彩・麻布   三重県立美術館蔵
《麦二三寸》 1920年3月16日 油彩・麻布 三重県立美術館蔵
1922-1926 第5章「卑近の美」と「写実の欠除」を巡って

次第に日本の美術文化への関心が深まり、関東大震災により京都に移住してからは、歌舞伎や浮世絵のなかに見出した、東洋美術独自の写実表現である「卑近の美」を、油彩画の麗子像《二人麗子図(童女飾髪図)》《童女舞姿》などにも反映させています。この頃には、本格的に日本画の制作にも取り組むようになりますが、同じモチーフを、宋元院体画風の日本画と油彩の静物画で描き分けるような制作もあります。

《童女舞姿》   1924年3月7日 油彩・麻布   大原美術館蔵   [名古屋展に出品]
《童女舞姿》 1924年3月7日 油彩・麻布 大原美術館蔵 [名古屋展に出品]
《竹籠含春》   1923年4月9日   油彩・麻布   個人蔵
《竹籠含春》 1923年4月9日 油彩・麻布 個人蔵
1926-1929 第6章「新しい余の道」へ

日本画(宋元院体画風と南画風)と油彩画の表現を会得した劉生は、「新しい道」への第一歩を踏み出すために満洲旅行に出かけます。新しい風景と出会い、初心に帰ったような光と色彩に溢れた風景画《路傍秋晴》を制作しますが、帰国直後に急逝して、劉生の絵画の道は途絶えることになりました。

《満鉄総裁邸の庭》   1929年11月   油彩・麻布   ポーラ美術館蔵
《満鉄総裁邸の庭》 1929年11月 油彩・麻布 ポーラ美術館蔵
《路傍秋晴》   1929年11月   油彩・麻布   吉野石膏株式会社蔵
《路傍秋晴》 1929年11月 油彩・麻布 吉野石膏株式会社蔵

会場によって出品作品の入れ替えがあります。また、展示期間に制限のある作品もあります。